プロフィール
qianhui
  • 作者:qianhui
  • (略歴)
    2006年4月半ば:悶々としていたわたしは就活をやめた。自分を冷静に見つめなおし、会社のために仕事をするのではなく、自分がやりたいこと、興味があることを仕事にしたいと考えるようになる。

    2006年4月末:資格取得という目標を掲げ、大学と専門学校という「二束の草鞋」生活を始める。

    2006年5月:ひょんなことからある人物を紹介され、いつの間にか大学院を目指すことになる。

    2006年秋:目標だった資格を取得し、大学院への切符も手にする。

    2007年春:大学、専門学校を修了し、大学院生として学校に通いながら、国内の日本語学校で非常勤講師として働き始める。

    2008年2月:インドネシアで働くチャンスをいただき、現在に至る。
  • RSS
  • 管理者ページ
« | 2008/03 | »
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
DTIブログ!

Search

3月13日

木曜日は渋滞がひどくないので比較的スムーズに帰ってこられる。一日3回(午前7時、午後2〜3時、午後5時頃)、特に月曜日に大渋滞になる、不思議な国。
校内をウロウロしてたら学生に声をかけられた。
「先生も食べますか」
見ると、F4サイズ(A4より大きく、ここでの標準サイズ)ぐらいのプラスチックケースにぎっしり入ったkue。(最近kue=お菓子、というよりkue=小吃のほうが近いことに気づいた)先日家に置いてあったkueを何気なく食べたらなんと丸々唐辛子1個入ってて、思いがけずもロシアンルーレットみたいな気分を味わった私は、ちょっと警戒して他の学生が食べているものと同じものを食べてみることにした。なんかね、ネシア版クリームコロッケって感じ。まぁ結構イケる味で安心していたところ、学生が少し言いづらそうに、
「あのー、先生、ルピア、2,000ルピアを…」
…はっ!これ有料だったんかい!!先週のケーキに続き、火曜日に別の学生から箱入りのお菓子をもらったばかりだったから、これもその類かと勘違いしてた(汗)。後で他の先生に聞いたところ、どうやらモスクのための寄付金というか、ムスリムのためのチャリティーみたいな活動で、よく学生間で行われているものらしい。え、ということは、私は学生と同じ扱い??ま、いいけど。
そうなんだよね、私は大学の先生っていうより学生たちの先輩というか、ただの日本人というか(まぁ実際そうなんだけれども)、ちょっと特殊な存在として捉えられていると思う。先生や事務員たちは、私と会話するときはもちろん、私のことをインドネシア語で話しているときでも私のことを「先生」と呼ぶ。大学で教えるにしては若すぎるのもあるかもしれない。立場としては「Ibu」と呼ばれるに値するはずなんだけど、Ibuという呼称が相応しい年齢ではないし、街でもそんな風に呼ばれたこともない。
ときどき学内にいる物売りの子どもとかゴミを漁ってる(?)おじさんとかにBuとかIbuとか言われることもあるけど、「もしかして私のことですか?」って逆に戸惑ってしまうぐらいだよ。

3月12日

今までいろいろな国を旅行して、文化の違いを見つけては喜んでた。でも、実際に生活をするとなると、その文化の違いがただ面白いだけでは終わらない。大変なことや理解し難いことだってある。そんなとき、その文化に溶け込もうと必死になってみたり、自分には自分のやり方があるんだって開き直ってみたり。うまく言葉で表現できないけど、やっぱり自分は外国人なんだなぁって思う。

今日は初めて会議というものに参加した。いまさらだけど、初めて顔を合わせる先生もたくさんいた。いくら日本語学科と言っても話し合いやレジュメは全部ネシア語。単語は拾えても内容を理解するレベルにはまだ遠いかな。とりあえず邪魔にならないように隅っこの席で、影のように静かに配られたkueを食べてました。日本でも仕事で会議なんかほとんど参加したことがないからよくわからないけど、こっちの会議はあんまり堅苦しくないというかお国柄が出てるというか、予定時刻の10時を過ぎた頃からバラバラ人が入ってきて、kueとかお昼ご飯とか出てきたり、ケータイがあっちこっちで鳴ってたり、発言も自由にできる感じみたい。ここには日本人の先生は私を含めて3人しかいないんだけど(全員女)、今日は今まで挨拶程度しかしたことのないY先生ともいろいろ話すことができた。年齢不詳で謎の多い人だけど、かなりのサバイバーであり旅人であることがわかった。というか普通の日本人とは人種が違う感じでたくましさというか、なんか不思議なオーラを感じるんだ。それに日本語の先生でありながら、自分のやりたいことを追いかけてるというか極めてる。すごく人生経験がありそうだし、これからもっと話を聞いてみたいと思う。

3月11日

乾いた咳が出るようになった。たぶん排ガスのせいだろう。バスとかトラックとか、絵に描いたような真っ黒いガスを出すし、angkotや普通の市バスとかはドア開けっ放しで走ってる。自家用車やタクシー以外は常に塵や埃にまみれてる感じ。だから大抵みんな飴を持ち歩いてる。それでプカプカ煙草吸ってる人が信じられない。
今日は初めて一人で学校へ行く予定だったけど、親戚のバイクで送ってもらうことになり、予定変更したところでミラさんからメールが来て、結局ミラさんと一緒にバスで行くことになった。
学校へ行く方法はいくつかある。バスだけでも教職員用バス(無料)、市バス(というほど立派なものではないけど)、DAMRI(高速を通る国営バス)などがあるらしい。今日は初めて市バスもどきに乗った。バス停というものはなく、タクシーのように手を挙げて拾う。バスが通る道まではojekというバイクタクシーに乗って行った。これも初めて。兄ちゃんたちがバイクに乗っていっぱいウロウロしてて、その一人をつかまえて後部座席に乗り、送ってもらう。もちろんヘルメットなんてものはなくて、本日をもってノーヘルデビュー(違)。「あぁーここで転んだら死ぬ…」なんてカーブのたびに思いながらなんとか乗り切った。こんな見ず知らずの兄ちゃんと運命共同体なんてごめんだよ、ほんとに。
こっちは豪雨の影響か、足場がかなり悪い。道路も陥没し、ぬかるみも多い。バイクに乗ると、泥はねもひどくて本当はなるべく乗りたくなかったりする。どこへ行ってもこうだから、ハイヒールの足がいつも悲鳴を上げてるよ。早く歩きやすい靴買わなきゃ。
帰りも同じ方法で帰った。それにしても帰りのバスはひどかった。初めての満員バス。絶対重量オーバーだしドア閉まらんし車体サビサビだし途中道路わきで怪しげなホースに繋いでたし(給油?)、こんな過酷な乗り物を今まで経験しただろうか?いつもの教職員用バスの半分の時間で行けるけど、快適さはない。同じ疲労感でも名古屋の満員電車のほうが全然大したことないような気がする。

3月10日

滞在先でも学校でもインターネットが使えなくなってもう10日以上経つ。メールとかチェックできなくて不便だけど、できないものは仕方ない。

文化の違いというか、何というか、先日の紛失事件は私にとってショックだったけど勉強になった。先生はその後何度もそのことについて話題にした。自分の子どもたちは人のものを勝手に持っていかないようきちんと教育しているし、お手伝いさんもそんなことはしない。事実モノが紛失したことで傷ついているし、もし疑ったりしたら仕事を辞めてしまうだろうとも言った。実際お手伝いさんはその日以来部屋に入ってくることはなくなった(但し子供以外の家人は窓を開けたりクローゼットや本棚のものを取りに入ってくる)。そこまで言われるともう私はどうでもよかった。「はい、どうもすいません。最初から机の上にモノを置いとく私が悪いんですよ」むしろそうやって何度も話題にしないで欲しかった。何度も聞いてるうちにそれは言い訳にしか聞こえなくなってしまうし、取られ損というか、なくなり損というか、なんか私のほうが責められているみたいじゃん。
さらに先生は続ける。もしモノがなくなった場合は「ユリちゃん、ボールペンちょっと使いたいんだけど、どこに置いたかなぁ?」という具合に聞けば相手を傷つけることなく聞くことができる、と。逆に「机の上のボールペン知らない?」なんて聞き方をすれば相手は疑われているのではないかと不安になり、傷つけられてしまうらしい。インドネシア人はこのように人に尋ねるときはすごく気を使っているとのこと。
え?え?何それ???何で聞いただけでそこまで深読みするの????何でそんな回りくどい聞き方するの?????
でもこれが考え方の違い。郷に入れば郷に従うのが海外に滞在する上での基本的なルールだとすれば…

さて、私はどうだっただろう?

紛失に気づいたとき、家人に相談して話を広めてしまうより、お手伝いさんと二人だけでやり取りする方がいいと思って私は少ない語彙+辞書をフルに使ってイラストつきで書置きを書いた。
「いつもいろいろありがとうございます。
こんな感じのペン(イラスト)がなくなったんですけど、知りませんか。もう一度自分で探してみますが、よく使うペンなので、もしどこかにあったら机の上に置いといてください。お願いします。」
「いつもいろいろありがとうございます。
昨日机の上に置いておいたお菓子がなくなったんですけど、知りませんか。もしあったら机の上に置いといてください。ときどき机の上のものがなくなることがあるので、机の上のものには触らないでくださいね。お願いします。」
という具合。私なりに気を使ったつもりだったけど、インドネシア的聞き方のルールに思いっきり反している。もしかしたら私のインドネシア語はもっと直接的な表現になってたかもしれない。

私は再びショックを受けた。お手伝いさんはその書置きを家人に見せたのかもしれない。それを受けて先生はインドネシア人的表現で遠まわしにチクリチクリと私の言動をたしなめていたのかもしれない。そのことに今気づいた。いくら外国人だとは言え、私めっちゃ無礼者になってないかな?なんだかいろんな行動が心配になった。

そういう場面に遭遇してみて初めてわかることっていっぱいある。大変だけど、常にアンテナを張ってKYにならないよう努力しないと。今回のできごとはとても勉強になった。

3月9日

地球温暖化の影響か、雨季が終わらない。
今朝は早く起きてミラさんとユリちゃんと3人でウォーキングがてらマーケットへ行く予定だった。それなのに土砂降りの雨。雷までひどくてついてない。せっかく楽しみにしてたのに、諦めざるを得なかった。
その代わりというかなんなのか、急に親戚の家へ行くことになった。いつもいろんな人が訪ねてくるけど私が訪ねるのは初めて。また例の挨拶をして、ゴザが敷かれたタイルの上に座り、いろんなkueやらフルーツやらを食べ、お昼ご飯も食べた。Noと言えない日本人の私は、いつもつい食べ過ぎてしまう。

3月8日

偶然というか必然というか、縁ってやっぱりあるんだよねぇ。

今日は高校の文化祭に出かけた。文化祭と言っても日本の文化祭とちょっと違って、今日の文化祭は選択授業やクラブ活動などで日本語を勉強している学生による大会。ジャワ西部の高校生たちが集まって、スピーチや朗読や習字や物語を語るコンテストなどが行われた。私はその審査員として大学教員代表なのかよくわからないけど、参加することになっていたんだ。審査員はUNPADからはYuyu先生と私、UPI(インドネシア教育大学)からも2人、それからよく知らないけど専門学校からも2人来てた。ちなみに日本人は私だけ。そこで驚いたのは、UPIの先生、名前を聞いてみるとなんとHeruni先生だった!!そう、養成講座時代の先生のお友達で、私はメールでしかやり取りをしたことのない人。バンドゥンの生活が落ち着いたら連絡しようと思ってて、結局そのままになってたんだ。。お互い名前を聞いてすぐにピンときた。大学教員なんていっぱいいる中で、それぞれこうして呼ばれてここで出会うことができるなんて偶然なのか、必然なのか、一体何なのだろう!!!
いろんなところでいろんな人と繋がっていって、何だか夢でも見てるみたい。

3月7日

今日はNyepi(ニュピ)というヒンドゥー教徒の祭日だから、学校もお休み。と言っても私はもともと金曜日に授業はないけど。ムスリムのための祝日とか、華僑のための旧正月とか、ヒンドゥー教徒のための祝日とか、多民族国家であることを実感するね。

3月6日

毎日決まって夕方から夜にかけて降るスコールのような雨は、まるで一日の空気の汚れをすべて洗い流しているかのようだよ。

夕方までは清々しいぐらいの晴天。
3月6日大安吉日、すてきな一日だった。

今日はサプライズの連続。
1コマ目の学生たちは、声を合わせて祝ってくれた。
2コマ目と3コマ目では、2,3年生の学生たちがケーキを用意してくれた。1日に2回もケーキを食べるなんて初めてだよ!そしてフラッシュの嵐(笑)。ケーキは私一人で食べきれる大きさじゃないし、かといって数十人もの学生全員に分けることもできない。勝ち抜き戦でじゃんけんをして勝った学生に分けたら、学生たちはすごく嬉しそうにほおばってた。こっちの学生は素直でかわいい。
休み時間には、通りかかった私をつかまえて1年生の学生たちがワヤン(西ジャワの伝統的影絵芝居)の工芸品をプレゼントしてくれた。
昼休みが終わって教室に入ると、黒板いっぱいにメッセージが書かれていた。よく見ると私が担当していない2年生の学生たちからのメッセージ。この国はこういうのって普通なの??
帰りのバスを待っている間にも、学生たちからインタビューを受け、ここでもフラッシュを浴びた。
さらに、先生方や知らない学生たちまで声をかけてくれた。
そして、いつもの日本からの電話。。。

そう、今日は私の誕生日。

すべてが特別で、すべてがすばらしく思える。
帰りのangkotでも、私が”kiri(=左⇒止めてください)”と言うと、見ず知らずの他の乗客がみんなして私のために、運転手に知らせてくれた。こんなことって初めて。

夕食を食べ終わったところで久しぶりにミラさんがかけつけてくれた。
そしてユリちゃんや小さい子どもたちと一緒にインドネシア語の誕生日の歌を歌ってくれた。

本当にすてきな一日をありがとう。
みんなに支えられて生きてることを実感した一日。 

3月5日

なんとか授業をやり遂げた。ハスキーボイスでかなり聞き取りにくかったろうけど。
今日うれしかったこと
→一人でバスとangkotを乗り継いで学校から帰ることができたこと。意外に距離があるからけっこうみんな心配してくれたけど、実際やってみればなんとかなるもんです。独り立ち第一歩(笑)。
→再び日本から荷物が届いたこと。まだここへ来て1ヶ月しか経ってないというのに2回目。なんというお嬢様振り(爆)。中身はといえば、お菓子とかカップラーメンとか雑誌とか手紙とか。雑誌は読み終わったら大学に寄付すればいいとして、スナック類は普通にここで安く買えるし歯ブラシならこの間スーパーで買ったのにさ。だいたいここは無人島じゃないんだから。でも、別にリクエストしてたわけじゃないけどこういう物を送ることでできる限り何かしてやりたいっていう親心を感じるよ。それから、「小児用」のストロベリー味の風邪薬が入ってた!私が風邪ひいたって言ったから、彼が入れたんだと思う。たぶん漢字が読めなかったんだろうけど、彼なりに選んでくれたんだなぁってうれしかった。早速開けて飲んでみるよ。

それにしても、ここには私の授業を楽しみにしてくれる人がいて、日本では私の帰りを心から待っていてくれる人がいて、私はなんて幸せなんだろう。と思う。

3月4日

次から次へと問題起こしてる…。
喉が悲鳴を上げた。とうとう声が出なくなった。
排ガスが原因なのか、風邪が原因なのか、昨日はしゃぎすぎたのが原因なのか、喉は痛くないのに、至って普通と変わりないのに、声だけが出てこない。咳払いをしてみてもかすれた息の音しか出てこない。まるで足と引き換えに声を失った人魚姫(違)。いや、そんなバカなこと言ってる場合じゃない。明日から授業なのに、声が出なきゃ仕事になんないのに、冗談じゃない。この状態を早く何とかせねば。ってどうしたらいいのだろう?